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どうぶつの権利〜畜産の実態映画!動物目線から生活の中の変革を促す

JUGEMテーマ:ペット



http://2012.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=207

 

『どうぶつの権利』は、畜産の実態を映し出した映画です。

監督:ヤン・ヴァン・アイケン
作品解説

 

子豚の尻尾は焼き切られ、狭いケージの中で身体が大きくなるまで生かされる。ヒヨコは雄だけが機械的に処分されていく。ヒヨコの目線から撮られた映像は、我々も同じ運命を辿るような錯覚を与える。一方で、教会では我が子と変わらぬ愛情を注がれた犬が洗礼を受けている。“人間”となった動物の姿が目に映る。現代の人間と動物は、より複雑で奇妙な関係になった。単なる食糧や労働力だった動物の時代は終わったのだ。人間が生きるために必要な命であり、家族同様の愛情と希望をもたらす命である動物と、我々人間の関係を問う衝撃の短編。

 

http://2012.tiff-jp.net/news/ja/?p=15937

 

※公式インタビュー natural TIFF 『どうぶつの権利』

ヤン・ヴァン・アイケン(監督/プロデューサー/撮影監督/編集)(『どうぶつの権利』)

 

人間の動物に対する愛情は果たして本物か。食用の家畜と、家族のように愛されるペットを、鮮烈なコントラストのうちに描いた本作は、30分という短い上映時間で、普遍的な動物愛護を提起する稀な一篇だ。ヒヨコの目線の高さにカメラを据え、健気な鳴き声が響き渡る渦中で、彼らが殺傷されていく場面には静かな衝撃が走る。尿結石と思しき犬がおしっこして、飼い主が誉めても空々しく感じられるほどだ。アイロニーの中に深い理解を求める監督は、あえて自らの肉食を語ることで、生活の中の変革を促すのだった。

 

──カメラ・ポジション、音響ともほぼすべて動物が見ていること、聞いていることを映していて強烈です。動物の視点を提示することで、何を伝えたかったのでしょう。
 
ヤン・ヴァン・アイケン監督(以下、アイケン監督):オランダでは人口6千万に対して、家畜用の鶏が1億羽、豚が1200万匹もいます。これほど多くの家畜がいるのに、ふだん私たちは、彼らを目にする機会がありません。彼らは養鶏場や養豚場にいて、暗い惨めな生活を送っている。人間が彼らの置かれた状況を直視せず、封じこめているからです。だから私は、彼らがどんな一生を終えるのか知らしめたいと思いました。彼らが置かれている状況を体験して、一緒に考えてほしい。そうした願いから、この視覚的なエッセーを作ったのです。
 
──ヒヨコの視点から精肉工場を眺めると、そこがまるで強制収容所のようにも思われてきます。人間が食べるために作り出したシステムが、人類史の汚点ともいえるひとコマを彷彿させることに、驚いてしまったのですが。
 
アイケン監督:ナチスの人権侵害やホロコーストを考えて、作ったのではありません(笑)。でも映画を作った後、そのように指摘されたことがありました。映画のラストに、たくさんの鶏をフェンス越しに捉えたショットが映りますが、この映像がアウシュヴィッツや強制収容所を彷彿させると言われたのです。でも撮影中は、特に意識していた訳ではありませんでした。
 
───暗い工場で食用に屠殺される動物がいる一方で、わが子のように愛され、家族の一員として育てられる動物がいます。映画ではその対比を、名もなき動物と固有名のある動物として描いていますね?
 
アイケン監督:名称によって動物が選別されるというコントラストは、大いに意識しました。犬のように1匹ずつ愛情を持って育てられる動物もいれば、大量生産される商品として扱われる動物がいます。こんな正反対の状況を作り出したのは人間です。たとえば、豚はとても頭のいい動物で犬よりも賢い。でもこの事実を知らない人は多く、大抵の豚は惨めなまま一生を終えます。
映画では豚を使った動物実験の場面があります。豚を開腹すると、肺も心臓も全部人間と同じ形態なのがわかります。豚は頭がよく社会性もあるのに、人間はなぜか、彼らよりも知性の劣る犬をわが子のように、あるいは、神のように崇めている。
オランダでは近年、莫大な費用を注ぎ込んで、ペット専門の癌センターが設立されました。レーザーやレントゲンを用いた高度医療が可能となった。それほど犬を丁重に扱うのに、家畜用の動物は惨めな生涯しか送れない。人間はなぜこれ程の落差を生みだしたのか、誰もが疑問に感じることでしょう。

 

  ──でもかわいい動物を見ると、人間は自然に愛着が湧いてきます。そこに人間の奢りがあると言えるでしょうか。

アイケン監督:フワフワしてかわいらしい動物を好きになるのは、人間の自然な行為であり、傲慢とは思いません。ただし、名もない動物の生存を見ないということ、より安価な肉を求めて家畜の生涯を顧みない人間の振る舞いは、傲慢だと思います。

──映画では人間に飼われているペットの豚も登場します。飼い豚に添い寝する女性は幸福そうですが、家畜用の豚は管理上の理由から、生後間もない時期に断尾されます。こうした映像の対比は、双方の立場の人間から反発を買いませんでしたか?

アイケン監督:私は何を映像で見せるのか、常にオープンにしています。養豚場の経営者と幸福な豚の所有者には、善悪を断じるものではないと説明し、正式に撮影の了承を得ました。もっとも、養豚場の経営者を説得するのは時間がかかりましたけどね。

──最後に犬の洗礼が描かれます。この場面では、動物の擬人化は、社会全般で行われている行為であることが提示されています。これに対して、養鶏場で精肉用に屠殺されるヒヨコの擬人化は、この映画特有のものであり、強烈なアイロニーを感じさせます。映像の対比は、人間が生みだした選別行為が代え難い基盤を持ってしまったことへの諦めとも受け取れますが。

アイケン監督:これまで嫌悪感を露わにする人はいませんでしたが、この映画を観るのがつらいという人もいるでしょう。私はそれでも観て、考えてほしいと願っています。このようなシステムを変えることはとても難しい。たとえ変えられないにしても、一人ひとりに考えてほしいと願っています。

──原題の“FACING ANIMALS”には、「人間はいまだに動物と向き合っていない」という含意が込められています。一体、どうすれば人間は動物と向き合えるようになるのでしょう?

アイケン監督:映画を撮った後、ベジタリアンになったかと多くの人に聞かれましたが、私は肉食に反対している訳ではありません。人間の自然な営みとして、今も肉を食べ続けています。ただ肉の生産方法をつぶさに見てきた結果、なるべくオーガニックの肉を食べるようにしています。また1週間に1日とか2日というふうに、食べる回数も減らしました。そんなふうに、自分にできることから始めればいいのです。ポール・マッカートニーさんは「ミート・フリー・マンデー(月曜は肉食をやめよう)」を提唱し、世界に広めようとしています。そういうものでもいいと思います。毎日肉を食べる必要はない。回数を減らしたり、家畜が適切な環境で育っているか気にかけたりするなど、一人ひとりが自分にできることを始めれば変化に繋がっていくはずです。

 

  聞き手=赤塚成人(編集者)

 

 

*****

 

―単なる食糧や労働力だった動物の時代は終わったのだ。

 

 

※10/25(木) natural TIFF出品作品『どうぶつの権利』の上映後、ヤン・ヴァン・アイケン監督によるQ&Aが行われました。

 

司会:まず監督からひとことお願いします。
 
ヤン・ヴァン・アイケン監督(以下:監督):みなさんいらしてくださってありがとうございます。私のアジアプレミアになりますので、作品を見せられたことを大変嬉しく思っております。
 
司会:まずこの作品は動物の目線を最も大事にしたという話なのですが、まずはそこから監督に伺いたいと思います。
 
監督:この作品では動物の視点を大切にしました。動物の顔というものを見せたいなと思っておりました。オランダでは家畜がたくさんいまして、人口が6000万人に対して鳥は一億羽、豚は1200万頭いるんです。でも家畜を目にすることはほとんどないんです。いつも家畜は暗い小屋にいて、なぜ私たちは見ることがないのか、なぜ家畜を隠しているのかということを考えてこの作品の原題に『Facing Animals』(動物の顔)をタイトルに組み入れました。
 
司会:日本でもそうですが、食肉加工業者はなかなか撮影許可がおりないんですね。監督はいまこの作品がデビュー作で、本業は写真家です。写真家として活動していて、一度その家畜の写真集を撮って作ってから、長い時間をかけ信頼関係を築きあげ、その後に撮影に臨まれたそうです。そのあたりの経緯についても伺いたいと思います。
 
監督:今回は写真集を先に撮って出し、その後この映画を撮りました。畜産業界に入るのはとても大変で、信頼関係を築き維持して撮影に至るまでに3年かかりました。農家の皆さんはマイナスなイメージを非常に恐れていました。私はオープンに全てをお話しして映画を撮らせていただきました。
 
司会:それでは客席の皆さんから質問を受け付けたいと思います。
 
Q:対比がとても面白かったです。犬は死んでしまって、お棺の中に入れて葬られるところは映したのに、食べられてしまう豚や鳥は殺されるところは映っていませんでした。それにはどのようなメッセージが込められていたんでしょうか。
 
監督:映画の冒頭シーンでひよこが殺されるところは映っているのですが、私は動物の生活の日々を描いていきたくて、殺されていく現場というよりも動物がどのような日々を送っているのかお見せしたくてこの映画を撮りました。


Q:この作品にはナレーションがついてないのですが、同様にナレーションをつけずに作品を撮っていて、家畜を題材にしている作品のドキュメンタリー作家、フレデリック・ワイズマンの影響を受けているのでしょうか。
 
監督:非常に興味深い作品を撮っている監督だということは存じておりますが、残念ながら見たことはありません。
 
Q:上映時間30分の作品ですが、10分くらいに感じられるくらいに見入ってしまいました。この30分という短さに何か意味があるのでしょうか。
 
監督:上映時間30分の長さを10分に感じられたということはとっても嬉しく思います。私は個人的にはドキュメンタリーの尺は長い必要はないと思うんですね。もちろんたくさん映像は撮りましたので、2時間のドキュメンタリーを作ることも出来ました。でも今回はお試しということもありましたので、私としては自然な長さになったんじゃないかなと思います。編集の段階で何分にしようか非常に迷いましたし、どんな映像を見せるか見せないか、どうやってコントラストを出すべきか非常に迷いました。けれどもシーンごとにちがう側面をお見せできましたので、私としてはちょうどいい長さになったんじゃないかなと思っております。
 
Q:豚が手術されているシーンがあったのですが、あの豚はどういう種類の豚なのでしょうか。
 
監督:あれは動物実験をしているシーンで、バイパス手術をしていました。豚の心臓と肺というのは、80%から90%くらい人間と同じなので、豚の実験で成功すれば人間にも応用できてお腹や胸などを切らずに、3つの小さな穴でバイパス手術ができるようになるのではないかといわれています。
 
Q:私は初めてお肉の加工シーンをこの作品で初めて見ました。とても興味深いシーンだと思いました。この作品を作るために3年かかったとおっしゃっていましたが、そこまでして食用の動物を撮影したいという特別な思いは何だったのでしょうか。
 
監督:まず初めは、写真集のために家畜を撮ったんですけども、ちょうどその時に動物の病気(豚インフルエンザ、鳥インフルエンザ、狂牛病など)が流行った時だったんです。大量の処分された動物を映像で見るようになり、今までにこんなに動物がたくさんいたのに目にしていなかったことに非常に興味をひかれ、この映画を撮りたいなと思いました。
 
Q:最初のひよこが殺されているシーンが非常に衝撃的だったのですが、監督はあのような動物たちを撮っていって動物に対する考え方や価値観に変化はあったのでしょうか。
 
監督:この映画を撮影することで、全体のシステムについて非常に学びました。この鳥も養鶏場を回ってワクチン注射をバシバシ打たれていたりする、そういうものを見て考え方が変わってきました。ベジタリアンになりましたか?とよく聞かれますが、それはなっていません。でもオーガニックのお肉しか食べなくなったりとか、少しずつ私の中でも変化が起きていきました。

 

【転載ここまで】
 


 

 

真っ赤なウソに気づく

 

私たち人間は、動物の肉や卵を食べることが重要だと信じています。食卓で、変わり果てた動物の死体の一部(姿)と会っています。それなのに、それらの動物たちの生きた姿と会うことはありません。

肉食の実態は、巧妙に隠されています。非常に幼い子どもの頃から、肉を食べるように強化されて肉食に慣らされています。

一人の人間の中に、動物に対する矛盾する態度が、トラブルを起こさないように注意深く共存しています。

 

子どもたちは、絵本などから、豚や鶏などが、田園の広がる風景の中で自由に走り回ったりする姿を目にしています。動物たちは幸せな生活を送ると信じたままで成長することも不思議ではありません。

しかし、動物たちは農場で牧歌的な状態で自由に歩き回っているのではなく、工場の中に集約され非常に多くの動物たちが監禁され、その飼育方法も機械化されて動物たちも生から死まで工場部品のように扱われています。

 

多くの人が、監督のようにまずは肉食を減らしたりすることを試みること、食習慣から種差別を取り除くようにすることが重要です。多くの人にとっては、一気に動物性食品をなくす事は難しいでしょう。でも、この動物搾取に反対する運動は、肉を食べない、動物性食品を食べないという行為で、誰もが参加したことになります。

 

動物の解放改訂版 [ ピーター・シンガー ]

 

これは、あくまでも個人的な活動において、という意味ですが。

私も、ピーター・シンガーが『動物の解放』で書かれているように、「動物解放運動の一番緊急の課題は、できるだけ多くの人にこの運動に参加するように促し、ボイコットが拡がり、社会の注目をあびるようにすること」だと思えます。結局は「多くの人が何もしない」という状態を作り出さない、ということです。

それは、「肉を食べなくても乳製品や卵は食べると、肉を食べ続けていることと変わりはないのだ」と主張することが、全体的にみて必ずしもいいとは思えない、ということです。肉食はやめていないが減らす努力をしている人を非難しないということです。

 

世界中にアピール・啓発するためには、「まずは減らしましょう」という訴えが、結局は多くの人に参加してもらえそうな気がします。そうした中で、動物搾取のありとあらゆる現状を地道に丁寧に知らせていけば、時代は変わっていけるのではないでしょうか。

 

 

 

「細部については意見の不一致・食い違いがみられる」ということは、ヴィーガンの中でも起こっています。砂糖の精製過程で動物の骨灰を使うから、白砂糖などの精製糖を一切排除する人からみれば、市販の砂糖を使ったものを食べていると「ヴィーガンといえない」となります。パーム油もそうです。植物性といえども、野生動物の棲家を奪い環境破壊や人間搾取問題もあります。それらを一切認めない、という態度で大衆の意識改革に臨めば、できることから始めたいと思う人が尻込みしてしまうかもしれません。

 

圧倒的に商品の選択肢が少ない中で、あらゆる動物搾取をなくしたいと思っている、そういう共通目標がある人の関心や努力を挫くのではなく、共に高みを目指して成長していけるような感じがいいと思えます。ヴィーガンの食生活をしていても、それが動物の苦しみをなくしたいからなのか、その人が動物全体の権利も考えているのかどうかは、すぐに見抜けるでしょう。共通の目標があれば、より努力しながら動物の苦しみをなくしていく世界を構築する、というスタイルでいいのではと思えます。より高い目標へと向かうには、ヴィーガンやベジタリアンに参加する人の目に魅力的に映り、食事に関してはその移行を容易にしたり興味を持ち期待を持つようなさまざまな工夫に労力を割く方が、結果的に動物たちの苦しみを減らし無くしていける一助になれるのではないかと思えます。

 

一足飛びに動物搾取のない世界へと向かえないからこそ、日々の多くの人の選択と関心が、重要なことだからです。


まずは、お肉や卵や乳製品を食べる日を減らしてみて、と話してみましょう。
環境のため、動物のため、誰かのため…その純粋に他者を思いやる心が広がれば、いずれは世界が平和で満たされていくことに繋がるのではないでしょうか。

 

 

 

工場畜産*畜産動物の扱い | ねこまる | 12:37 |
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