牛や鶏はこんな目にあってる!

0
    JUGEMテーマ:日記・一般


    私たちが思い浮かべる農場は、楽しく穏やかな場所でしょう。

    広大な牧草地の日陰では、子牛が母牛に鼻を押しつけ、泥の穴の中ではブタが転げまわり、庭ではニワトリが地面を掘ったりエサを奪い合ったりしている。

    しかし、このような牧歌的なイメージは、カレンダーや色刷の本、動物性食品に貼ってある田園風のラベルや広告によって植えつけられたものです。

    現代畜産の現実は、これらの情景とはまったく違ったものです。
    ほとんどのお肉は、工場システムで大量生産された動物からつくったものです。


    ■ 工場が登場し・・・農場は消えてゆく

     

    第2次世界大戦後の1955年頃から、今日のいわゆる集約的畜産業がイギリスとアメリカから始まったと言われています。

    世界的に激変したこの畜産の様相は、集約畜産の進展であると言われています。その特徴は、.瓮ニゼーションの進展と施設の装置化、⊂蔑賄管理の追求、4超制御  の3点にあると指摘されています。

    この新しいスタイルの本格的な家畜工場が始まった1960年代の初めに、イギリスで、ルース・ハリソンの『アニマル・マシーン』という告発の書が出版されています。

    ハリソン女史のこの本が出てから40年以上経過していますが、この集約畜産は、一方で畜産公害問題、他方で家畜の福祉問題家畜の種としての生存の権利問題を生み出した、と言われています。

    それはどういうことか…。
    ルース・ハリソンの『アニマルマシーン』からいくつか抜粋します。

    農場の動物を生まれてから屠殺するまでに永久に閉じ込めて収容するシステムが、この30年ばかりの間に着実に成長し、その地歩を築いてきた。

    ・・・数限りない動物をぎっしりと詰め込むので、彼らは手足を伸ばすこともままならず、やっと生きているといった始末である。
    彼らは目のあらい格子床の上に立っているのだが、その下ではいつも自分の糞尿が頑張っていて、どいてくれない。
    そしてお日様を拝むのは、屠殺のため外に連れ出される時一日だけということもしばしばある。

    健康を害するような環境で飼育されているため、頼みの綱は抗生物質やその他の薬剤である。
    それも日常的に使用しなければならない。

    (『アニマル・マシーン』の日本語版への1977年の序文、4ページ)

    最後に一言。
    本書は、動物の受難を扱っている。
    視力が落ちて見えなくなった目を彼らの受難に向けて、凝っと見て我が身を振り返っていただきたい。

    私たち人間自身もだんだん力が衰えてきたのではなかろうか。
    人間による人間の扱いの点でもいよいよ冷酷無情になっているのではなかろうか、と。

    (前掲書、6ページ)


    ■拘禁・薬漬けされている工場の家畜たち



    食用集約畜産の対象は、にわとり、牛、豚の三者にしぼられています。
    そして人間は、微生物の家畜化に着手しています。
    いうまでもなく、流行のバイオテクノロジー、遺伝子工学といったものです。

    ブロイラー用鶏が今日の「合理化」された近代畜産の極限であることは、多くの人々によって指摘されています。

    ブロイラーとは、食肉専用に育てられた若鶏のことです。
    人間でいえば、10歳の少年少女です。

    ブロイラー鶏舎には何千羽ものヒヨコがぎっしりと詰め込まれています。
    窓はありません。夏は炎熱地獄です。
    ほこりっぽく、じめじめして、すごく臭い。
    素人は3分といたたまれない、とハリソンは書いています。

    病気のためにしばしば大量の鶏が死亡するので、抗生物質などますます多くの薬がエサの中に混ぜられています。
    屠殺場へ出荷するときに、トリがおとなしくしているように、精神安定剤を水の中に入れておく「技術」も開発されたようです。

    採卵のためには、ケージ養鶏が手腕を発揮します。ハリソンはこれに「ニワトリ<工場>の狂気」というサブタイトルを付けました。

    鶏をゲージ(かご)で飼うアイデアは、1911年のアメリカにさかのぼります。
    このシステムは、1930年頃から米英両国で実用に移され、1950年代から爆発的に発展してきたと言われています。

    この採卵工場はますます大規模になり、オートメ化され、一人の大人と一人の子どもが一万羽の管理ができるまでになっています。




    ハリソンは、食肉用のオスの子牛の集約飼育についても調査しています。

    この子牛たちは、生まれてすぐに母牛から離され、真っ暗闇の畜舎に集められます。
    身動きできないように首をくさりでしばりつけられた、完全拘禁のまま一生をすごします。
    そして少年期になると屠殺場行きです。
    生まれて初めてここでお日様を見るのですが、それも数時間の運命です。


    家畜という言葉そのものが、そもそも適さなくなってきています。
    彼らの「家」はないのです。その代わりに、「経済動物」という言葉が使われるようになっています。

    にわとりについていえば、かつての日本では約600万戸の農家のほとんどが、それぞれ10羽かそこらを庭先で飼っていたと言います。今、このような風景は姿を消しています。

    日本のモデルとなっている米国では、1億羽以上が、百万羽以上の規模の60数社によって飼われている、といいます。

    こうした工場的畜産の種畜は、ほとんど米国の巨大企業によって独占されているのだそうです。これらの企業で品種「改良」、育種を専門にしている研究者の状況は、狂気寸前だ、とハリソンは書いています。

    集約的動物飼育法が非難されて然るべき最大の根拠は、この方法で飼育される動物は死ぬ前から生きていない、ただそこにいるだけだという点にある。

    畜産業者は、動物に対して事務的な態度で接して飼育しているのであって、そこにはもはや動物に対する暖かい思いやりなどあるわけがない。

    彼らの多くはまったくあけすけに、自分の飼っている動物が大嫌いだと公言するのである。

    (『アニマル・マシーン』233ページ)


    ■ 淘汰、あるいは選択されていく動物たち

     

    「優良」品種が選択され、「劣悪」品種は即座に淘汰、すなわち殺される、という作業が日常的にこの業界でつみ重ねられています。
    「優良」というのは、いかに安いコストで、なおかつ、人間に迷惑や面倒をかけることなく、より多くの卵、肉、乳を人間に提供できるか、ということです。

    かつては1頭の乳牛から1年に4000kgくらいの乳を人間は搾っていましたが、今では8000圓鰺弋瓩気譴泙后
    6000堋度しか出さない牛は即、屠殺場行きです。
    年1万圓「優良酪農家」の目標とされています。

    本来、母牛が子牛に飲ませる乳は1000kgといわれています。
    人間はその8倍もの乳を取り、そして10倍、20倍もの経済能率を上げさせようとしています。

    また、1組の日本人男女が結婚するのに、例えば、ある芸能人の2億円結婚式では、500人の招待客のために、松阪牛300頭が殺されたといいます。といっても、これらのお客が食べるシャトーブリアンという特上とされる部分の肉(1頭から1kgとれる)を食卓(テーブル)にのせるために…。


    人間以外の動植物の性と繁殖のいとなみにおいて、他の生き物をこんなに犠牲にする例はまずありません。
    こんなことを、自然はいつまでも許しておくはずがありません。

    人間は、生物界のルールを無視して、生物界に居座っています。
    今日のヒトという動物種の存在は、すべてを等しく対等とする見方でみると悪としかいえないのかもしれません。
    また傍若無人、まさに横暴きわまりないものだといえるのかもしれません。

    どんな信条や倫理観を持っていても、動物の苦しみを軽減する生活を目指すことは、残酷なシステムにおける動物虐待のサポートから手をひく手段となり得ます。
    そのことが、思いやりのある世界をつくっていく確かな一歩となるでしょう。








    ねこまる * 集約畜産(アニマル・マシーン) * 09:34 * comments(6) * trackbacks(0)

    すべての命に思いやりを

    0
      JUGEMテーマ:グルメ


      アニマルファクトリー。
      これは、工場制畜産業のことです。

      米国で完成されたといわれている大規模畜産業では、牛やブタ、にわとりは、大きな工場の中で肉をつくり、卵を産むという機械にされていて、かれらの体はボロボロになっています

      大部分の牛やブタが病気を持っています。そして、その病気をおさえるために、エサの中に薬が加えられています。薬漬けの家畜にされています。
      このシステムが、畜産近代化の名のもとに日本にも輸入されています。

      こうして作られたお肉を、米国では一人当り年間100キロも食べています。1日にして300gです。
      米国ではお肉は主食級であり、この他に大量の牛乳、乳製品を摂っています。その結果が、癌と心臓病、精神的な病といった難治の病を引き起こしているといわれています。

      しかし、全世界の国々は、この米国型のこうした食のスタイルを真似したがっています。


      ■家畜の肉食は生態系を破壊する



      アフリカでの食糧危機が伝えられています。
      しかし、今日の世界の食糧生産のうち半分は、食用家畜(ほとんどが先進国向け)の飼料用です。
      単純に考えても、これをやめれば少なくとも当面の食糧問題は解決すると言われています。

      逆をいえば、肉食増加の傾向が止まらなければ、家畜の飼料をつくるための農地改革がすすみ、森林を消費していきます。
      肉食を現状のまま維持しておいて、地球の環境保護を訴えるすべはありません。

      家畜制度は、人間の役に立つとされているごくわずかの種の動物を家畜とみなし、他の野生動物を、直接、あるいは間接に滅ぼしていくシステムです。

      自然保護運動、野生動物を保護する運動も大切ですが、野生動物を絶滅させていく、そして自然を破壊するその根本理由が、肉食にあることを自覚することが何よりも大切です。






      明治になって、政府が積極的に欧米から肉食と畜産業を輸入し、振興するようになってから、日本もまた、大きく変わっていきました。家畜の肉や乳製品を食生活に摂り入れることが、生活の向上の大目標となったのです。

      日本は、この百数十年の間で、欧米の軌道の中に組み込まれています。

      戦後に米軍の占領政策の一部として、米国産の小麦を日本人の主食メニューの中に組み込むように指導され、学校給食が、パンと牛乳主体になりました。科学者たちも、パンと肉、乳製品が栄養学的に理想であると宣伝し、農林省も酪農を奨励しました。

      その結果、日本農業は無残な破壊をみています。

      このように、官財学会および民間が一致協力した形で、日本人の食性を欧米型に変える運動が進められてきました。
      そのため私たち日本人の食は、そして農も、根底から激変させられているのです。

      家畜の肉や乳製品を食べることが、私たち日本人の日常生活の中にしっかりと組み込まれたのです。




      また、牛の乳は、子牛のために出てくるものです。人間はこれを横取りしています。

      家畜にとっては、生殖行為も、生命活動も、そして死そのものでさえも、何一つ自由にはなりません。飼い主としての人間の思うがままに動かされています。それに反抗すれば、死が待っています。


      仏法の中に、「大無量寿経の四十八の誓願」があります。この仏説の日本的解釈の中に、「山川草木、一本の草、一匹の虫といえどもことごとく成仏するまでは、我もまた成仏せじ」というものがあります。
      山川草木から一匹の虫に至るまで、この宇宙の万物万象が成仏しない限り、私もまた成仏しないという趣旨の思想です。

      今後、 すべての生命はかけがえのない尊いものであるという認識は、家畜動物を解放し、地球生態系の破壊を食い止める、たしかな叡智として求められていくことでしょう。










      ねこまる * 集約畜産(アニマル・マシーン) * 23:13 * comments(16) * trackbacks(0)
      このページの先頭へ