宮沢賢治とベジタリアニズム〜「イーハトーブの構想」☆理想社会は菜食

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イーハトーブ

労働と芸術が、そして人によってはそこに宗教も含めて、人々が生き生きと明るく生活できるようにそれらがバランスよく人生の中に包括され、個人の幸福と世界の幸福を追求できる場所、そしてその環境は自然の美しさで彩られ、動物も植物も鉱物もあらゆる生きものが幸せである状態におかれている、まさに理想の地、理想郷―これを宮沢賢治は、「イーハトーブ」と名付けた。


ひたすら労働に励み、生存するのがやっとというのではなく、貧しい中にも芸術や宗教を創造し、楽しく生き生きと明るく生活できるようにしなければならない。そのため、「農民には、農民の労働によろこびを与えるための芸術が必要である」と宮沢賢治は考えていた。

花巻の農村や町中の四方八方から胸を躍らせてやってきた青年たちは、北上川を見下ろす小高い丘の上の、雑木林に囲まれた二階家に入っていった。板敷きの部屋には小さな丸椅子が並び、黒板がかかり、教室となっている。ここが猴綽榁録誘┣餃瓩任△襦5楝賢治はすでにオルガンを弾いていた。青年たちは楽器をとり、ホーマン教則本の頁を開いてそれぞれに奏で始める。バイオリン、フルート、クラリネット、マンドリン、木琴、そしてセロはやはり彼が弾くのである。

練習に疲れると、生徒たちは丸椅子か、椅子が足りなければみかん箱に腰を下ろす。賢治は、井戸から汲みたての水やりんごやスルメを勧める。夏には沢山のトマトが出され、冬には大豆を炒って食べたりした。先生にだけ負担はかけられないと、生徒たちは餅を背負ってきたり、木炭をかついできたりした。

鶴田静『ベジタリアン宮沢賢治』p.134より一部抜粋


宮沢賢治はベジタリアンであった。地球とそこに生きるすべての生き物への愛を貫いた、ベジタリアンだった。
その彼が構想したイーハトーブの食卓は、大地が豊穣に生み出す食物で彩られる。肉食ではなく菜食をする社会が、理想的な望ましい社会だと考えたのである。

なぜなら、家畜が飼われ、農耕社会が出来上がると、人々の間でその狃衢物瓩紡个垢訝イす腓い起こる。それは戦争に発展していくからである。

古代ギリシャ・ローマの文人の多くが、狷食以前の菜食の黄金時代は、戦いのない平和なおだやかな時代であった。しかし、肉食が始まったことによって戦争も起こった瓩箸靴討い襦ディオゲネスは、「戦争と略奪を生むのは穀菜食をする人々ではなく、肉食をする人々が暴君と支配者を生み出すからである」と言っている。
だから理想的な社会では、戦争の起因となる肉食は避けられるのである。

歴史的にみても、肉食と戦争につながりや相似をみたり考えたりする人は多い。肉食は動物の死であるが、戦争は人の死である。どちらも理不尽に殺される。
宮沢賢治もそれを直感していた。




動物の楽園

理想的な国家、社会とは、そこに生きる人々と動物が、平等で自由で、幸せになる権利を持っていて、それがちゃんと守られている社会だろう。

植物が育つ自然条件がきちんと保たれ、その大地から自然に生える豊穣な植物を食糧とする社会が建設されれば、それは理想の国イーハトーブになる。
決して飢えの起きない社会であり、人類は健康を得て幸福に暮らせるようになるだろう。

しかし、人間だけが幸せでは決して楽園にはならない。地球上に住む他の生き物たちにとっても楽園でなければならない。

人間という動物種は、人間以外の動物という種に対して種差別的な考えを表明してきた。野生動物を乱獲し、スポーツの道具として扱ったり狩猟のために動物を殺し、医療や薬品や化粧品の開発のために生体解剖や動物実験を行い、その後殺したりすることを繰り返してきた。また娯楽などのために狭い空間に閉じ込める動物園や水族館が存在し、食肉のために家畜を利用したり、毛皮や羊毛製品の服飾物に動物を利用している。

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ピタゴラスやプラトンをはじめとする古代ギリシャ・ローマの文人たち、ロシアのトルストイ、イギリスのモリス、フランスの作家ジャン・ジャック・ルソー、イギリスのロマン派詩人シェリーらは、そこにベジタリアニズムが存在していれば、平等で平和な理想的な社会が築けるのだとした。

こうした事実は、近代のイギリスやアメリカ、ドイツやフランスで、動物の権利、動物の解放、動物の福祉という運動の大きな基本的理念となり、大きな活動となって今日に至っている。
それらはベジタリアニズムに包括されるものであり、今日ではますます切り離せないものとなっている。

宮沢賢治の作品の中にも、動物の権利と解放の精神を反映させ主張したものがある。『フランドン農学校の豚』や『注文の多い料理店』や『氷河鼠の毛皮』などである。

哲学者ヴォルテールやドイツの哲学者ショウペンハウエル、作曲家のワーグナーたちも、動物愛護論を展開した。

古今東西のベジタリアニズムと動物愛護の根底をなしているのは、こうした動物の生存権を尊重する感情である。


理想社会は菜食

日本は、西洋と同じ近代化の道を行くために、肉食を含む種差別主義の西洋思想を、そのまま取り入れてしまった。江戸後期にオランダ医学が伝来してから、西洋文化も伝播し、肉食禁令も解かれた。福沢諭吉は狷本人は肉食をしないから病弱である瓩箸靴董∪儷謀に肉食の効用を宣伝、肉食を取り入れることを推奨した。

フランスの作家ジャン・ジャック・ルソーは、人間の自由と平等とベジタリアニズムを関連づけて考察した。その著『人間不平等起源論』(1755年)の中で、狄祐屬寮限犬紡莪譴防要な食物は、樫の木が落とす実と小川に流れる水でよい瓩箸靴拭それが人間の自然状態におかれた姿である。動物は、人間の同胞だから、動物の肉は食べない。もともと森の中の動物が分け合って食べる果実の食物を、自分たちもそのまま食べる。肉食動物は食物(獲物)を奪い合ったり争ったりするけれど、果実食をする動物はそれを分け合う。奪ったり争ったりしないから、平和に暮らしている。だから、自然な生活状態の中では不平等は起こらない、とした。

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ルソーから影響を受けたとされるイギリスのロマン派詩人シェリーも、19歳の時に自らベジタリアニズムを採用した。
ここに、シェリーの犲匆颪ら食事法に至る改革への希望と熱意が込められた當校蹇悒イーン・マブ』を紹介する。

女性の魂(精霊)が天上の妖精マブとともに、地球の上方から過去と現在の世界の様相をながめ、マブが理想的未来を彼女にたくす物語である。

マブが見せたものは、王者の権力と虚偽、そして彼らに搾取される農民や貧困であった。以前には「平和と自由が耕された平野」は、富や時や忘却に浸蝕されてしまった。その世界では動物は殺され、自然の法にそむいて食べられてしまう。だが下方の地球を見ると、黄金色の穀物が地からわき出、太陽から光と生命を注がれた果実や花木は、秩序良く成長している。そこでは平和と、調和と、愛が語られている。こんな世界では、人間は理性と正義をもって、全能の自然の法にそむくことをやめるだろう。すると人間性が高まり、今までの習慣を変える理性、つまり改革への意識をもつのである。すると

もはや人間は 自分の顔をまともに見る小羊を殺さず、残酷にもその肉を刻んで食べたりはしない…
改革された人間、すなわち肉食を棄てた人間が世界を作ると、そこでは自然も変えられて、動物にとっても人間にとっても、殺戮のない平和な社会になるのだ。


シェリーはこの『クイーン・マブ』につけた注を発展させ、「自然な食生活の擁護」という試論(エッセイ)にまとめた。彼は「人間の肉体的道徳的墜落は、その生活に不自然な習慣に基づいている」と考える。
不自然な習慣―肉食と飲酒という不自然な食生活は、個人の肉体にばかりでなく社会的な害悪をもたらすから、様々な悪の根を断ち切るには、その根となっている食事を変えることが必要である。食生活を非肉食のシンプルなものに改革すると、その変化は政治や経済に顕著に及ぶから、「食生活の改革の利点は、明らかに他の改革よりも大きい」。
裕福なものだけができる肉食は、基本的な「人間の権利と直接作用」するから、肉食から菜食への転換は、社会を改革することになる、とシェリーは力説している。

鶴田静『ベジタリアン宮沢賢治』p.141〜143より一部抜粋





宮沢賢治のベジタリアニズムは、自分の身体そして自我を超え、他者への大きな愛情から発している。古今東西の歴史上のベジタリアンたちも同様である。ヘシオドス、ピタゴラス、プラトン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルソー、シェリー、バイロン、フランクリン、ヘンリー、ソロー、ワーグナー、トルストイ、バーナード・ショウ、ガンジーなど多彩である。
彼らのその思想と実践と作品は、現代を生きる私たちにとって、多くを学んで余りある程に、心や社会に豊穣をもたらしてくれる黄金の果実であるといってよいだろう。

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人間の楽園は、動物にとっても楽園でなければならない。人も飢えず動物も飢えず、菜食でもって「みんなの心を平和にして互いに正しく愛し合う」ことのできる個人と社会が織り成す世界、戦争も飢えもない世界の創出は、永遠の平和へと続く道であることは疑う余地はないだろう。またそれは、人類が永遠の理想とし、動物を仲間として彼らを愛し、地球上で彼らと共存し、彼らが幸せな生を全うできる権利を奪わないという意識を持つこと、それを人間は決して涸らしてはならないと決意することを、人間に要求することでもある。

永遠の平和へと続く道を、人類は理想とし希求していくのである。

おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか…宮沢賢治(「農民芸術概論」)


<参考>
鶴田静『ベジタリアン宮沢賢治』


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