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「大地を守る会」でウサギ狩りが企画されていた!☆動物の権利と福祉について
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自然食品宅配サービスの「大地を守る会」をご存知の方、または利用されている方も多いと思います。

その大地を守る会では、2月に東北で「スノートレッキングツアー」としてウサギ狩り体験ツアーの企画がありました。その後、ツイッタ―や電話などで抗議があり、昨年末に「ウサギ狩りは見合わせる」と決めて中止になりました。

企画では、野ウサギを狩り(鉄砲で撃ち)、それをさばいて食すことが行われる予定だったようです。


◇  ◇  ◇

田舎暮らしのテレビ番組を見ていても、イノシシや野ウサギなど野生動物を食糧として個人で狩って食べている人やそういった集落が存在していることは知っています。
でも、「大地を守る会」が旅行ツアーとして企画していたとは…。

自然食に興味を持ったりそういった生産や販売に携わる人々が、必ずしもアニマルライツに関心を持っていたり理解があるとは限らない、それが現実です。

有機食品店や自然食品店が、ヴィーガンのスタイルではないことはお店に行けばすぐわかります。卵や牛乳やお肉や魚を普通のスーパーと同じように売っている。多少、動物の福祉に配慮した商品やアレルギーの人向けに卵や乳製品を排した商品が置かれているけれど…。環境や人間の健康に配慮し尽されていても、動物の利用に関しては議論の余地なし。そう感じる場面が日常的です。



犬猫などペットといわれている動物のことや、野生動物のことに関心を持ったり保護する活動をする人は多い。

それでは、畜産動物や実験動物のことはどうでしょう。

消費者団体が、「私たち人間の安心、安全のために、もっと動物実験を強化して下さい!」と役所に問いただす…。それが普通です。あるいは、「動物に過度な、または不必要な痛みを生じさせないようにして下さい」という人たちがいる。こうした動物の福祉を支持する人々は「福祉論者」と言われています。

では、動物の権利はどう考えるのでしょう。
福祉論者は、大抵は動物が権利を持っているとは考えていないとされています。動物たちが精神的に快適であるように、私たちが動物の世話をし、動物たちの生活の質を向上させることを考えます。しかし、動物の権利そのものはどうでしょう。生活やその命の営みを尊重することを考えれば、動物の利用には異を唱えることでしょう。

福祉論者たちは、もし動物が快適さを経験し、幸せに見え、何か生活の楽しみを経験し、長引くひどい痛み、恐れ、飢えやその他の不快な状態を免れているのなら、それでよいのだと考えます。

動物の権利を認めないため、動物を実験に使うこと、人間が消費するために動物を殺すことの活動が、人道的に行われるのであれば問題ないと考えます。

たとえ動物が苦しんでも、人間の利益になるという目的が、手段となる、つまりは動物を利用することを正当化します。なぜなら、動物を使用することは、人間の利益には必要であるとみなされるからです。

福祉はとても大切な事柄ですが、「動物の権利・解放」を願う人たちにとっては、それは当然のことであって、最終目的ではありません。




私たち人間の食卓に上る、動物たちの一生を考えてみて下さい。その生活に思いを馳せる人が、一体どれだけいるのでしょうか。

家畜化された動物たちは、もともと野生だった兄弟姉妹を、人間が手を加え繁殖させ、管理しやすいように改良し、利用している生き物です。
親類である野生動物たちより、価値が低いとみなされているように思えます。まるで、同情や尊敬に値しないとでもいうように、人々は彼らの生活、一生から目を背け続けます。無関心であり続けます。

現在、人類に食されている多くの家畜が人間が手を加えて作ったものであるというのなら、だからこそ人間は特別な義務を彼らに負っているといえるのではないでしょうか。

家畜化された動物たちは、その生活の中で、少なからず人間との交流を経験します。人間との交流で期待がかなえられなかった時、実際には、彼らは野生の仲間以上に精神的に苦しむ可能性がある。そう想像はできないでしょうか。

どのような動物であろうと、信頼や愛情の関係を築くことが出来る動物との間に、信頼と愛情のある関係を築いておいて、つぎにその関係を計画的に、早まって破壊するようなことにかかわるということは、確かに汚い裏切りであるように思います。

哲学者 L・E・ジョンソン


いっぽう、動物に対してどのような痛みでも苦しみでも与えることは間違っていると信じている人々は、動物は食べられるべきではない、動物園に囲われるべきではない、または痛みを伴う研究、あるいはいかなる研究にも使用されるべきではないと信じています。このような人々は、「権利論者」と呼ばれています。

権利論者たちは、動物はある種の道徳的権利、また危害を受けない権利を含めた法的権利をもつと考えています。


「動物の権利の現代の父」とたびたび呼ばれるトム・リーガンは、1983年に出版された彼の著書『動物の権利の擁護』で次のように語っています。

動物が権利をもつと信じ、またそう主張する人々は、動物の命は命そのものが貴重なのであり、動物たちが人間のために何ができるかという理由から、また彼らが人間のように見える、または人間のように行動するという理由から貴重とされるのではない。


動物は所有物、つまり「物」ではなく、生きている有機体であり、私たちの同情、尊敬、友情、援助が得られるべき生命の主体者なのです。

「権利論者」たちは、私たちがある種の権利を認める動物たちの境界線を拡大して、さらに多くの動物たちの権利を認めています。

動物たちは、人間よりも「もっと劣った」または「価値の少ない」「物」ではありません。
彼らを酷使したり、抑制して支配したりしてもいいと言い訳できる所有物ではありません。
動物に対するどんな程度の痛みも、また死も、不必要であり、容認できません。





動物の権利の考えと動物の福祉の考えは、一般的には同じではありません。
しかし、今の人類の価値観、考えの中では、一足飛びに動物の権利は容認されません。段階が必要です。広く社会に容認されていく段階では、福祉が最低限守り尊重していかなければならない項目であると理解しています。
ただ、その根底に流れる潮流には、動物の権利が抜けるということはあってはならず、最終目的である動物の権利が結実したものになるようであってほしい、そう願っています。

長くなりましたが、日ごろ思っている動物の権利について、大地を守る会の一件でいろんな考えが巡り、こうしてまとめてみるきっかけを頂きました。まとめるにあたって、福祉論者と権利論者の部分に関して、マーク・ベコフ著の『動物の命は人間より軽いのか』から引用・要約した部分があり、参考とさせていただきました。ありがとうございます。


動物の権利と福祉 / 2011.02.09 Wednesday 18:04 | 
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